逆境力およびリスクテイキング:海外生まれの起業家たちの道は移住経験によってどう形作られるのか
第一・第二世代の移民は、米国民のたった27%だ。一方で、貴重な米テック企業の半数以上は、移民もしくは移民の子どもによって設立された。
この統計を受け、私たちはこの現象を追求することにした。外国生まれの起業家たちに、移住経験やそれが彼らのキャリアに与えた影響について話を聞くことにしたのである。
これらのインタビューを通して、移民がぶつかる壁について語った彼らの1つのパターンが見えてきた。というのも、移民として扱われる不利な立場が、彼らを成功へと導く状況やスキルをたびたび創出したのだ。
例えば、マイクロソフトで働く中島聡(なかじま さとし)氏。
中島氏は現在Xevo社のトップを務めている。マイクロソフトで働くため、20代で渡米した。アメリカに慣れない頃は、言語の壁から会社のグループ会議内での発言に苦労した。
「そこで面白いことが起こったんです。私が全然グループ討論に貢献できないので、1人でできるプロトタイピングの仕事を上司がくれました。」と中島氏。「そのプロトタイプが最終的に、Windows95の原型になったんです。」
中島氏はマイクロソフトで成功を収めたのち、会社を7つ立ち上げた。また、渡米して以来、実に300人以上の人を雇用してきた。
GeekWire移民の旅・パート3では外国生まれの起業家から話を聞いた。移民経験がキャリアにどのような影響を与えたのか、国際経験の多様さがどのようにアメリカ企業へインパクトを与えるのか、について。シリーズ内過去の記事は、下のリンクをご参照ください。
Part 1: How can U.S. improve its immigration policy? We asked immigrant entrepreneurs and tech leaders
Part 2: Immigrant perspectives: Women entrepreneurs on ‘microaggressions’ and biases
以下はパート3で特集された移民の起業家たちです。
(編集部より/11人の起業家に便宜上番号を振っていますが、原文にはありません。)
①Xiao Wang (Boundless社CEO)
同社は人々の移民手続きを補助するスタートアップである。中国・南京生まれのWang氏の両親は、文化革命期に学校へ通うことができなくなった。そのため彼らはアメリカで勉強することをいつも夢に見ていたという。両親が米大学院を卒業した後、Wang氏は両親と再会するべく3歳で渡米した。そしてハーバード・ビジネススクールでMBA、スタンフォード大学で修士号を取得した。
②Anna Hong(SapphireView社 共同設立者/CEO)
多角度からイベントを録画・ストリーミング・事前収録することで、全てをカバーするソリューションを提供するのが同社だ。Hong氏は以前、打ち上げロケットの技術アカデミー(CALT)にて航空宇宙推進エンジニアをしていた。中国・北京のロケット製造を牽引するこのアカデミー(CALT)にて彼女はCEOのトップにまで登りつめた。
③Shivaas Gulati(Remitly社共同設立者)
同社はカナダ−アメリカ間の国際送金をモバイル支払いサービスで可能にした。Gulati氏はこのスタートアップのエンジニアリングチームにて7年以上も貢献している。インド出身の彼は、カーネギーメロン大学でITの修士号を取得、ウィルクス大学のコンピューターサイエンス専攻として卒業した。
④William Lai(8Ninths社 共同設立者/社長)
同社はシアトルにある、AR(拡張現実)・VR(仮想現実)・MR(混合現実)のスタジオである。Lai氏は香港で育ち、15歳の時にアメリカへ家族で移住したが、これは政治的理由によるものだった、と彼は話す。1997年に香港の主権がイギリスから中国へ移り、香港の安定性に不安を覚えたのである。移住後、Lai氏はマイクロソフトで13年間働き、MSN/WindowsのLiveメッセンジャーの構築において重要な役割を果たした。ローンチ当初、この機能は初めてのクラウドベースのサービスの1つだった。
Microsoftが1995年から運営しているポータルサイトの名称(Weblio英和辞典より)
⑤Mina Yoo(HEROCLIP 設立者/CEO)
同社が販売するのは、人々の整理整頓や手を空かせることを目的とした消費者向けの商品である。Yoo氏は韓国出身で、1991年に渡米し、ブラウン大学へ入学した。その後、ミシガン大学にて社会学と経営学の博士号をそれぞれ取得した。会社設立前はワシントン大学のビジネス・フォスタースクールにて教授を務めていた。また、カリフォルニアのPalo Altoでも2年間を過ごし、シリコンバレーの移民起業家について調査していた。
⑥Reetu Gupta(Cirkled in 設立者/CEO)
同社は学生のためのデジタルポートフォリオのプラットフォームである。学生は今まで達成してきたことを公開し、新卒採用担当者がそれらを参考にする。Gupta氏はインドで生まれ育ち、エンジニアからキャリアを歩み始めた。AT&T Wireless社に採用され、アメリカへ移住してきた。彼女は20年間アメリカの会社で様々な役割を任されてきた。ときにエンジニアとして働き、ときには5億円規模の製造ラインを管理した。ワシントン大学のフォスター・ビジネススクールではMBAを取得している。
⑦Manny Medina(Outreach社CEO)
同社はシアトルを拠点に、販売・営業の一部を自動化するサービスを提供している。最新の資金調達では6500万ドルを集めた。エクアドル出身のMedina氏は、エンジニアリングを勉強し、学部を卒業するために20歳の時に渡米した。ハーバード・ビジネススクールにてMBA、ペンシルバニア大学のコンピュターサイエンス専攻で修士号を取得している。
⑧Francis Duong(Flexe社CTO)
貯蔵スペースの市場を提供するのが、シアトル拠点の同社である。Duong氏の生まれ育ちはオーストラリアのシドニーで、マイクロソフトで勤務するためにアメリカへ移住してきた。そこで彼はWindowsのディベロッパー、Xboxのプログラムマネージャーを務めた。Karl Siebrecht氏、Edmond Yue氏とFlexeを立ち上げる前には、YコンビネータLLCをバックにIgnition Mobileという、モバイル分析を行う会社を設立している。
YコンビネータLLC(Y Combinator LLC)は、カリフォルニア州マウンテンビューのベンチャーキャピタルである。(Weblio英和辞典より)
⑨Elena Tarassova(Vioure社 設立者/CEO)
同社はシアトルにて、企業による短期間賃貸の一覧を管理している。Tarassova氏と家族は2001年にロシアからシアトルへ移住した。彼女によれば、旧ソ連が解体されてからロシアは不安定であり、子どもたちのより良い将来のためにアメリカ移住を決めたという。
⑩Sabastian Mugazambi(Adisa社 共同設立者)
彼のスタートアップは、アフリカの職人たちがオンライン市場を管理・維持することを可能にした。Mugazambi氏はジンバブエのハラレ出身で、2013年に渡米した。ミネソタにあるカールトン・カレッジにて、全額支給の奨学生としてコンピューターサイエンスを学んだ。彼は以前、ニューヨークにあるモルガン・スタンレーからオファーを受けたが、起業家になるという夢を追うため、オファーを断った。2017年にはWeWorkクリエイター・アワードにて1万8000ドルを勝ち取り、Adisaの資金となった。
⑪中島 聡(Xevo社 取締役会長)
同社は自動車に関するソフトウェアを提供している。中島氏はマイクロソフトで働くため、日本・東京からアメリカへ移住。Windows 95のソフトウェア設計リーダーとしてビル・ゲイツと共に働き、Windowsデスクトップおよび Internet Explorerを担当した。中島氏は渡米してから7つの会社を立ち上げ、300人以上を雇用してきた経験を持つ。
(2018年6月29日『Resilience and risk-taking: How the immigration experience shapes the path of foreign-born entrepreneurs』より前半和訳)
後半では、最初に登場した動画の和訳を掲載しております。
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【執筆者情報】
山中 苑
大阪大学外国語学部を休学し、Bellevue Collegeにて留学中。和訳記事にて『本日のニッチな英単語』コーナーを細々と担当している。渡米するまでシアトルをシドニーと呼び間違え、アラスカはアフリカにあると信じていた。マイブームは格言集め。
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