アメリカ・シリコンバレーで約20年間もの就業経験を持つ金子厚志さんが語る「海外で働く」とは?【第1弾】

日系企業に就職後わずか1年転職・渡米し、シリコンバレーのIT企業にて約20年間もの就業経験がある金子厚志さんにインタビューしてきました!アメリカでは大手IT企業、スタートアップなど計3社を渡り歩き、主に人材開発、多分化マネジメントに従事されたそうです。現在は日本人留学生に対して留学生キャリア支援プラットフォームの構築・運営、グローバルに展開を望む日系企業に対してグローバル・リーダーシップ養成講座を提供しています。

アメリカ・シリコンバレーにて世界を舞台にして働き、現在は日本人学生、日系企業を支援する活動を行なっている金子さん。1時間ほどのインタビューでしたが、海外で働くことについて深く考えさせられる機会でした。海外で働いてみたいけれど、何をすべきなんだろう?そもそも海外で働くってどういうこと?などの疑問を持っている読者の皆さんは特に必見の記事です!

記事の第1弾は金子さんの経歴について、第2弾では「海外で働く」ことにフォーカスしていきます。

学生時代

長年アメリカで働かれているようですが、学生時代に留学経験などは有りますか?

留学はしたいと思っていて、当時は留学説明会まで行ったんですよね。でも当時は留学に対するハードルが高かったため、留学は諦めました。

大学時代の専門は何でしたか?

大学院の専攻は建築でした。当時はコンピューターサイエンスのような専門は存在していなかったんですよ。建築を学ぶ上でもコンピューターを使うんですよね。そしたら、コンピューターって面白いなと思ったんです。コンピューターで選ぶとなると、当時は日立製作所かIBMか富士通でした。結果として日立製作所に入社しました。

インタビュー時の写真

社会人時代

偶然が重なりアメリカへ

日立製作所からどのようにしてアメリカの企業に入社したのですか?

偶然だったんですよ。日立製作所で1年間ほどプログラミングの勉強をさせてもらいました。でも、性格的に日系企業には合わないなって思ったんです。そこでたまたまアメリカに本社を置くソフトウェア企業のAutodesk社の求人を見つけたんです。求人はAutodesk社の日本支社でしたが、応募し入社することができました。日本で働く予定でしたが、入社当時の社長に「本社でアジア・パシフィックの開発部隊を作るから行かないか。」って言われたんですよ。このように偶然が重なり1994年からアメリカの本社で働くことになりました。

アメリカでの経歴を教えてください

アメリカでの経験

Autodesk社のアジア・パシフィック開発部隊は3ヶ月とか半年で一時的なもののはずだったんですけど、どんどん期間が伸びて行き、最終的には本社の一部として機能し始めたんですよね。私はそこでマネージャーを任されました。

Autodesk社時代の写真

スタートアップへ

Autodesk社時代に仲が良かった社員に誘われ、インターネットソフトウェアに関するスタートアップであったSiebel Systems社(Oracle社が買収)に初期メンバーとして入社をしました。この会社ではソフトウェア開発部隊でエンジニアのマネージャーを担当しました。

これまでの常識が通じない環境で磨いたリーダーシップ

その後、ソフトウェアのセキュリティではトップクラスの企業である、Symantec社に入社しました。ここでは中国、インド、ポーランドなどのエンジニア約100人をマネジメントしました。様々な文化圏の人々をマネジメントすることの難しさは、日本の文化圏での前提、つまり日本文化のプロトコルが通用しないことにあります。例えば、日本では挨拶するときに、お辞儀をしたらお辞儀を返しますよね?このプロトコルはもちろん世界共通ではない。今まで常識だと感じていたものが常識として通用しない環境でリーダーシップを取り、10年間マネジメントしてきました。トライ&エラーですよ。

Symantec社時代の写真

現在はどのような活動をされているのですか?

3年前にSymantecを辞めました。現在はキャリアコンサルタントの資格を持ち、約20年間アメリカで働いた経験を生かし、日本人留学生のキャリアサポート、日系企業に対してグローバルリーダーシップ講座を提供しています。

非営利組織での活動

日本人留学生が就職活動を考えたときには、ボストンキャリアフォーラムが頭に浮かびますよね?しかし、ボストンキャリアフォーラムに出展していない会社はいくつもあります。日本人留学生に、数多くの会社から自分に合ったものを選んでほしいという思いがあり、留学生の就職活動サポートを行っています。具体的には、DODAキャンパスという4000社以上が登録しているというリクルーティングサービスや新卒リクルーティング・エージェントと共同し、非営利組織であるJAPAN GTPで活動をしています。

まとめ

アメリカで20年間もの就業経験があり、100人ものエンジニアを束ねていたなんて…同じ日本人として尊敬します。確かに留学生が就職するにあたって、広い選択肢の中から選ぶことが難しい状況であるのかもしれません。

第2弾では、経験豊富な金子さんから「海外で働くこと」についてより深く聞いていきます。

第2弾はこちら!

金子さんにはこちらにLinkedInに関する記事内でもご意見をいただきました!

この記事を読んで、海外で働くイメージが湧きましたか?

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【執筆者情報】

佐藤伸介

千葉県に生を授かり、幼少期から高校まで宮城県で過ごしたのちに青森県の大学へ行く。北上し続けていたらいつの間にかシアトルにたどり着き、いまに至る。次の目的地はどこになるのでしょう。東北地方の観光を盛り上げたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

shinnsukesatou

千葉県に生を授かり、幼少期から高校まで宮城県で過ごしたのちに青森県の大学へ行く。北上し続けていたらいつの間にかシアトルにたどり着き、いまに至る。次の目的地はどこになるのでしょう。東北地方の観光を盛り上げたい。